ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

映画「FUKUSHIMA50」を観てきた

 映画「FUKUSHIMA50」を観て福島原発事故の重大さを感じた。

 思い出せば2011年3月11日私は当時自動車部品メーカーの首都圏の本社に勤めていた。

 地震の数日後、後始末でばたばたしている時に設計開発部の部長が私の所に来て「ちょっと見せたいものがあるんだ、来てくれないかな。」というので研究開発棟に案内された。

 研究開発関係者以外立ち入り禁止の建屋で私は普段はそのビルに入ることができなかったのだがその日私を特別に入れてくれた。

 これを見ろと見せてくれたのが放射線計測機とその記録だった。放射線量は明らかにその前日から倍になっていた。福島から遠く離れた首都圏に放射能が到達していたのだ。

 そのころマスコミの報道では放射線量が増えている話はまったく出ておらず、テレビでは原子炉も融解しないとさかんに専門家が繰り替えし言っていた。開発部の部長はすでに社長には報告していた。

 すぐに東京で大学生をしているこどもに電話をして、大学の試験はもう終わっているだろう、すぐに親戚のいる関西に逃げろ、お父さんは残る、今すぐに逃げるんだ、と言った。こどもは父親がどうしてそこまで言うのか理由が分からなかったようで、再三言ったにもかかわらず東京から逃げようとしなかった。

 当時首都圏が危ないということを知っている人たちは逃げていた。アメリカ人など外国人は客観的にみて東京は放射能に汚染される可能性があるという「正しい」情報を大使館から連絡を受けて退避勧告に従っていた。多くの外国人は日本から退避していた。

 某外国人自動車メーカーのトップもさっさと本国に退避していたと聞く。日本人社員を残して逃げるなんてということを言う人もいたが、原子炉融解という正しい状況を知っていた訳で適切な判断だったと私は思う。

 つまり日本の半分が放射能で住めなくなるリスクがあることを知らなかったのは一般の日本人だけだったのだ。逃げなくて大丈夫だったのは現場の努力と運がよかっただけなのだ。

 あのころ大丈夫と言っていた専門家、そしてその言葉をそのまま信じて大丈夫と思い込んでいた多くの日本人、「FUKUSHIMA50」を観て反省すべきだと思う。

2020年6月13日