サダム・フセインが大統領として君臨していた1980年代後半に私はイラクに何度も出張で行ったことがある。
商社にいて日本の機械をイラクに輸出していたのだ。
当時イランイラク戦争中だった。
バグダッドのホテルで寝ていると遠くで花火のようにドーンという音が聞こえる。
あくる日聞いてみると十数キロ離れた工場にイランから発射されたスカッドミサイルが落ちたらしい。
時々イランからスカッドミサイルがバグダッドに打ち込まれていた。一応軍事目標を狙っているようだがたまに街に落ちてきていてた。
日本から輸出した機械を入れた何本ものコンテナがペルシャ湾岸の港町バスラで留め置かれていた。私は車でバグダッドからバスラまで行ってコンテナを探しにいった。
土漠に片道二車線の国道だった。ガードレールはなく、反対車線は20メートルぐらい離れていいた。国道の添ってイラン側数百メートルぐらい離れたところに高さ数メートルの土塁が延々と続いていて、ソ連製の戦車が要所要所に配置されていて砲身がイラン側を向いていた。
バスラ一番のラフィダインホテルは建物の周りは防御の土嚢が背丈以上に積み上げられていた。
幸いコンテナは見つかった。税関でいくつかの理由でとどめ置かれた。手続きをとって必要な「費用」を支払ってコンテナは通関された。
片道10時間以上かかった記憶がある。
運転手の片言の英語と私のにわか勉強のアラビア語で会話をしていた。
税関とのやり取りとかで運転手はよく働いてくれてバグダッドへ戻る車の中では親しくなっていた。
恐る恐る「フセイン大統領をどう思ってるのか」と聞いてみた。
当時どの家庭にもどの会社にもフセイン大統領の写真か肖像画が飾られていた。
「イラクには秘密警察がいて自由がないし、クルド族との闘いでは化学兵器をつかっている、それでもフセイン大統領を支持するのか」と。
運転手ははっきり言った。
「国王がいた時代ならば私は小学校も行けなけなかったと思う。でもフセイン大統領になったおかげで私も含め子どもたちは全員学校に行けるようになった。私は心からフセインン大統領のことが好きだ。」
私はこの運転手の発言を今も本音だったと思っている。
今ロシアではプーチン大統領の支持率は80%を超えている。
西側のメディアは情報が統制され言論が統制されているからだとしている。確かにその面はあるだろうが、プーチンがロシア国民から支持される理由があると考えるべきだ。
尚、フセイン大統領はその後クウェートに侵攻し、湾岸戦争で敗北し、イラク戦争で囚われの身となり裁判で死刑判決を受け執行された。
2022年4月29日