忘れもしない、サダム・フセインの長男の名前はムダイだ。
1990年湾岸戦争まで、日本製品が大量にイラクに輸出されていた。私の勤めていた商社も自動車、機械、通信機器、民生機器など絶好調だった。
成田からイラク航空のみがバグダッドまで週に一便フライトがあった。私は何度もバグダッドまで出張した。
日本の野菜、映画やテレビ番組のビデオなどの駐在員の生活用品、書類や緊急で必要な機械の部品、などを出張者が持っていくことになっていた。他の部門の物まで合わせて協力しあっていた。
だがその量が半端でなかった。
段ボール箱に30~50箱。300キロ〜500キロ、運賃100万円以上。
前日までに各部門の荷物は集結、当日出発4時間前赤帽の小型トラックが持ってくる。それをイラク航空のチェックインカウンターまで出張者が運ぶのだ。
国際線ロビーをスーツを着た男が空港ビルの入り口に積み上げられた段ボールをチェックインカウンターまで行き来して運んでいる姿を想像してほしい。少々恥ずかしかった。
飛行機はジャンボで快適だったが、前半分はそんなたくさんの荷物のために貨物室になっていた。
空港に到着するとイラク側の税関を通らなくてはならない。
運よければ税関は素通りになるし、運が悪いと箱を開けさせられる。
私は隣の部門から自動車の部品の託送を依頼されていた。
これはフセイン大統領の長男ムダイ氏所有の自動車の部品だから何かあれば税関は通してくれるとのことだった。隣の部門は大統領の長男まで通じているのだと私は感心していた。
運悪く税関にその箱を開けられてしまった。
これは持ち込めないと言っている。
私は声を大にして言った。
「これはサダム・フセイン大統領の息子、ムダイ氏の自動車の部品だ!」
その税関吏がスーッといなくなってしまった。あれっと思ったら左右の税関吏もいない。これは通っていいということか?
見ればドアの向こうで迎えにきてくれた先輩が早く来いと手招きしている。
私は30個以上の段ボールを税関の出口にいる先輩に投げるように渡し、私自身も税関から脱することができた。
その後イラク戦争でサダム・フセインは絞首刑、長男ムダイ氏も殺害された。
私は商社をやめ転職した。
20年以上経ってひょんなことから事実を知ってしまった。
当時自動車部品を航空機の手荷物で輸入することは全く禁止されていた。
つまり私は隣の部長に騙されていたのだ。おそらくサダム・フセインもムダイも嘘だっだのだ。
そういえば迎えに来てくれた先輩が「機転が利くなあ、よくそんなこと言ったな」と言っていたのを思い出した。
怒りが込み上げてきた。しかしすでに商社は退職してて文句の言いようがない。悔しい。
2022年5月12日