「織田、仕事やる気があるのか!」
と当時私は新しい課長に叱られていた。
「イラクは支払い遅延が生じています、これ以上ビジネス拡大は危険です。そもそも審査部の許可が下りません!」
「そこを何とかするのが営業だろ!」
当時1990年湾岸戦争で財政的に疲弊したイラクは支払いの遅延が生じていた。
契約時に720日のユーザンスをつけないといけないし、イラク一番の市中銀行の保証状があっても720日後の支払いが滞っていた。不良債権額はどんどん積みあがっていた(過去のブログ参照)。
新しく来た上司にそのことを説明したが聞く耳を持たない。
おそらく分かっていたのだろう、商売を作って売上が立つのは今、債券が不良になるのが分かるのは早くて2年後だ。その時この上司は人事異動で別の部署にいる、知ったこっちゃないという考えだ。
私はそうゆいう間違ったサラリーマン根性が許せなかった。
2,3日してその上司が
「俺がバグダッドに行って調査してくる、その結果仕事ができるのならやる、できないならやらない、ならいいだろう、俺の結論に従え。」
と言うことだった。
私は、クソ上司でもイラクが破綻していることは分かるだろうし、いずれにせよ審査部が新しい商売を許可しないからいいかと思っていた。
そして1週間ほどしたら、部長が言ってきた。
「俺、メーカーの社長とモルジブに出張に行くことになった、織田、俺の代わりにバグダッドに行ってこい。」
まあ、呆れたものである、すかさず、
「私が現地に行って調べてきます、商売やるかどうかはその報告書にしたがってくださいよ。」よく言ったものだと思う。
1990年私は現地の駐在員に7月26日のフライトでバグダッドに行くとテレックス(当時のEMAILのようなもの)で連絡した。
駐在員から返事が来た、「8月4日から休暇で欧州に行く、(長期で来ても仕事はないから)来るのは9月にしてほしい」との回答だった。
私はそのテレックスをその課長に見せたところ、「分かった。」と答えた。
商社はお盆夏休みはなく、それぞれの事情に合わせて一週間ほどを休むことになっていた。私は8月初めに休みを取って故郷に帰ることにした。
8月3日帰郷の朝、駅の売店を見るとクウェートにイラクが侵攻した新聞がが並んでいた。
8月4日に休暇で欧州に行く予定だった駐在員は出国禁止となり、クウェートにいた日本人と違って人質とはならなかったが、日本に戻ってきたのはアメリカが反撃を始める前の12月だった。
もし私がバグダッドにいたら、イラクは女性こども、年配者から出国させたので、当時若かった私は帰ってくるのは一番最後だっただろう、そして駐在員と違って食料などの生活物資もあまり持ち合わせていなかったことを考えると大変な生活を強いられたはずだ。
私についてはその上司から思いっきり査定を下げられてボーナスが下がったのはいうまでもない。
まだバブル崩壊の影響は少なく、高くなった住宅を買うこともできず、悔しさの中で辞めて田舎に帰ろうかと思ったりしてた。
さてイラクに行かずにモルディブに行った上司はその後若くして病死したらしい。その話を聞いてもいままで何もコメントしていない。
2022年5月15日