ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

こどもを暴漢から守るのは教師の仕事なのか

 悲しい跳び箱と鉄棒の話をして小学校の記事を検索していたら、たまたま付属池田小学校殺人事件の記事を見た。

 2001年大阪府池田市の付属池田小学校で暴漢が出刃包丁で小学生8人を殺害、小学生13人と教職員2名を負傷させた。

 日本の犯罪史上稀に見る無差別大量殺人として社会に衝撃を与えた。

 当時各学校は類似事件を防ぐために犯人を取り押さえる熊手の訓練を行っているのをニュースでみた。教員たちは学校の児童、生徒を守らないといけないと訓練を一生懸命やっていた。

 私は正直その姿を見て違和感を感じていた。

 学校の教員はこどもたちに教育をすることが仕事であって暴漢と戦うことが仕事ではない。

 教員だって命は惜しい、極端な話だがこどもたちと一緒に一目散に逃げてもいいはずだ。

 教員たちが一番やらないといけないのは教育委員会や市と連絡を密にして警察による警備を依頼することだ。

 拳銃で武装した警官が授業中と部活中に校門に立っていればたいていの暴漢は学校を襲うようなことはしない。

 校長は「警察官に警備を依頼しています。教員とこどもには避難訓練をさせています。教員の有志には防御訓練をお願いしています。」と言うのが正しいのではないか。

 かような勘違いを学校が行うのは学校が社会から隔離された社会になっているからだ。その中で教師たちは先生と呼ばれて自分たちは偉い、なんでもできる、と勘違いしている。裏を返せばできないのになんでもやらないといけないと勘違いしているからだ。教員の仕事範囲に暴漢と戦うこととは決して書いていないはずだ。

 日本の教員たちはいつの間にか偉くなって、警察を学校内に入れたくないと思ったのだと私は思っている。

 そして教員たちは隔離された社会で一般社会では到底考えられないような校則を作りそれをだれからも非難されることなく正しいと思いこどもたちに理不尽な要求をしている。バスケットボールもソフトボールも専門家ではないのに部活の顧問として指導をしこどもの可能性を潰している。

 日本の教師たちは自分たちがあまり偉くないことを悟って自分より能力のある人たちに仕事を頼むべきだ。

2022年8月29日