ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

映画「窓辺にて」を観てきた、いまいちだった。

映画「窓辺にて」を観てきた。

 最初から最後までストーリーの中に入っていけなかった。

 フィクションは全くの作り物、ノンフィクションは事実をヒントに作ったものだ。だからドキュメンタリー映画以外はすべてがウソか事実に基づいてウソを交えて作られている。

 ウソが含まれる以上映画で一番大事なのは本当の話ように観客に思わせることだ。

 先に「ダイアナスペンサーの決意」を観たが、ダイアナ妃が自分でイギリスの田園風景の中を車を運転していて、クリスマスイブの晩餐会に遅刻しているというシーンから始まる。早くお城に着かないといけないというダイアナの焦る気持ちが伝わり、到着して晩餐会に出るときには観客は遅刻した気まずさを一緒になって感じるようになっていた。

 「窓辺にて」はそんなドラマの中に入っていく途中に数多くの障害があった。

 主に出版界に勤める夫婦二組の浮気の話と高校生の作家の話だ。

 最初に今時出版業界は大不況時代なのに主人公の稲垣吾郎(以下稲垣吾郎)の家が立派過ぎる。大手出版社でもせいぜい神保町に本社がある業界なのにそんな泥臭さがない。

 賞をもらった高校生玉城ティナ(以下玉城ティナ)は奥深い小説を書いていてヤンキーの彼がいるが、結局使っているラブホテルは小説を書くためだし彼はうぶな男の子だ。そんな真面目な高校生が意味深な小説など書ける訳がないと思ってしまった。

 稲垣吾郎が離婚届けを書いた日、タクシー運転手がパチンコをすると言ったのでパチンコ屋に行って大勝する。玉城ティナから急きょ呼び出しの電話がかかってきて、その大量の玉をパチンコ台の隣のお姉さんにあげる、お姉さんは走ってきて玉の一部になるお金を稲垣吾郎に渡す。何の意味のあるシーンだったのだろう。

 どうもこの映画の脚本を書いた人は出版界がこんなに儲かればいいという想いがあって、たまたま最近パチンコに行って楽しかったことがあって、身の回りか自分の浮気話を書きたくて、玉城ティナとその彼に状況を説明させたのだと思う。

 映画の中で稲垣吾郎が書評を求められて「僕には必要のない小説でした。」と言う。私にとってこの映画は「僕には必要のない映画でした」だった。

2022年11月12日