ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

不動産、逗子市の屋敷通り

 逗子市は2キロぐらいの砂浜の海岸が弧を描いた湾になって西を向いている。南半分からは江の島と富士山が見える。

 海から砂浜、次に135号線、そして海が一望できる低層マンションとレストランが並び、その裏に135号線と平行に走る車が行き来できるぐらいの裏道がある。この道を「屋敷通り」と言う。

 この屋敷通り海側はマンションとレストラン、陸側は小ぶりな住宅が並んでいて道の両側はどう考えてもお屋敷という名前は相応しくない。

 どうもこの135号線と屋敷通りの間のマンションとレストランは昔文字通りお屋敷が並んでいたようだ。葉山、鎌倉と同じく逗子も資産家の避暑地として海岸沿いにお屋敷が並んでいたのだ。葉山の潮騒美術館に当時の写真が残っているが、大きな家と大きな庭を持った邸宅が海岸沿いに並んでいる。

 戦後高度成長時代にこれらの邸宅は企業の福利厚生施設に入れ替わった。逗子市図書館で昭和39年当時の地図を見たところ、銀行、保険会社、有力メーカー、など日本経済をけん引してきた当時一流企業の福利厚生施設が並んでいる。

 おそらくバブルの崩壊とともにこれらの企業はリストラをし逗子の福利厚生施設も売り払ったのだろう。それが今の低層マンションとレストランになっている。

 考えてみれば当時年に1回社員旅行で逗子まで来たのかもしれない、従業員は家族とともに安く逗子の厚生施設に泊まれたに違いない。

 今の人達は社員旅行など行きたくないだろうし会社の施設に家族で宿泊したいなどとは思わないかもしれないが海に直結した立派な施設に安く泊まれるというのは優雅な話だ。

 企業が福利厚生施設を海の近くに持って、しかもおそらく採算を考えずに運営していたというのは余裕があったものだ。バブルが崩壊して企業はギスギスした状態になってしまった。リモートで働くことが推奨されているが、もしそのまま福利厚生施設があればそれをオフィスにして社員の半分は海の見える部屋で働いてもいいというようなこともできたはずだ。

 逗子にはホテルらしきものがないし、鎌倉や葉山も数が限られている。バブル崩壊とともに経営が成り立たなくなり撤退してしまったのだ。

 本当に金が儲からなくなるというのはいいことは何もないと思う。

2020年9月1日