三浦半島は1923年の関東大震災で1メートル隆起したらしい。
たまたま行った神奈川県三浦町の潮騒美術館に三浦半島の成り立ちなる展示物に縄文時代からの歴史が記述されていた。
例えば天皇陛下の葉山の御用邸の海側は壁があってその下がすぐ海だったらしい。関東大震災で隆起したのでその後壁と海との間に砂浜ができたというのだ。もともと三浦半島の海岸はほとんどが岩場であったのだが、関東大震災で隆起したので多くの砂浜が形成されたらしい。
近くの江の島も昔は島と陸とは離れていて橋で繋げていたらしい、だが関東大震災で隆起したので今は島と陸地は砂地でほとんど繋がっている。
おそらく三浦半島は地震活動で長い年月に隆起して行ったに違いない。
たとえば逗子市は西に海で東に山となっているが、海から徐々に高くなって山裾に行くというのが普通なのだが、不思議なことに海側が高く山側が低くなっている。つまり海側が高くて徐々に低くなり山の手前が一番低くなっているのだ。
逗子市を流れる川は田越川(たごえがわ)という。おそらく山から流れてきた川は海に向かって両岸がどんどん高くなるところを蛇行し突き切って逗子湾に流れ込んでいたのだろう。だからそんな名前が付けられたに違いないと想像している。
最近勉強を始めた不動産鑑定士検定の問題集にも土地の形質は一番重要であると書いてあった。土地の形質を知るには古地図を見ればおよそ分かるがわざわざ取り寄せる必要はない。その街の図書館に行けばたいていの場合見つけることができる。街の成り立ちを知る上でも面白い情報が隠されているのお勧めする。
2020年8月31日