大阪圏の経済地盤沈下が激しい。
私が関西から上京してきた1980年代前半、大阪はすでに東京に経済的に後れを取りだしていたものの、東京と大阪は日本の二大都市だった。
東京はまだまだ寄せ集めの感があって、道路も鉄道も人口のわりに整備されていなかった。
当時大阪の地下鉄にはエアコンが入っていたが、東京の地下鉄には入っていなかった。東京の人間が「トンネル内にエアコンの熱がたまるからできないんだよ。」としたり顔でいっていた。
大阪の地下鉄にエアコンが入っているのを知っていたので「こいつアホやな」と思い、東京は遅れているなと思ったものだ。一言付け加えるならば地下鉄のホームには痰壷があって東京はなんと不衛生で遅れていた田舎街なのかと思っていた。
一事が万事で友人に連れて行かれた渋谷も六本木も大して関西の街と変わりないし、横浜など神戸に比べたら田舎者ばかりでダサイとおもったものだった。
だがこの30年で大阪と東京の立場は全く変わった。
大阪は横浜に抜かれ名古屋に抜かれ今や一地方都市になってしまった。
東京都が地方交付税交付金をもらっていないが、大阪、京都、神戸は多額の国からの支援をもらっている。
大阪万博日本館で華々しく展示されていたリニアモーターカーは当面東京から名古屋までしか行かなくなってしまった。
そしてなによりも将来の経済を考えると大阪は万博、IR(博打場)、インバウンドに頼るしかないのが情けない。
東京圏一極集中という流れがあったのは事実であるが、その一方でこの30年間の大阪の停滞は維新の会に責任があったと言っていい。
大阪府と大阪市の合体を目指していたが、それによって得られるたものは実は何もなかったのではないか。
大阪の住民投票で少なくとも半分以上の人達がそのように考えていたことが明らかになっている。しかも二度も同じことで住民投票をするという無理強いをしようとし結果二度とも否決されたという無様な結果だった。
大阪府と大阪市の業務を一体化して合理化したらいいことがあるというプロパガンダに載せられ維新に投票したが、維新によって結局大阪府民と大阪市民は行政サービスを削られてきたのだ。
問題はサービスを削られただけではなく、歳出による経済投資がなされなかったために、30年の間に大阪は日本の地方都市になってしまったのだ。
本来であれば大阪府と大阪市は緊縮財政を行わずにどんどん行政主導の投資を行うべきだったのだ。金が足りなければ国に頭を下げて地方交付税交付金を増額してもらわなくてはいけなかった。当時東京一極集中が議論されていた訳でいくらでも理由はついたはずだ。
そんな維新に国の行政など絶対にやらせてはならない、維新の責任は重い。
2021年11月7日