ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

バブルを生き延びた人たち その5

 今日も東京は暑い、昨日は36.4度で6月では最高気温だったらしい。

 バブルの頃はもっと暑かった。

 などと言うと最近は地球温暖化で昔よりも気温は上がっていると環境少女グレタに叱られる。それは正しいのかもしれないが、バブルの頃日々の「生活」は今よりも暑かった。

 1980年代に関西から就職して東京にやってきたが、正直東京の田舎度にショックを受けていた。

 千葉の独身寮から都心への通勤だったが地下鉄にエアコンが入っていない。当時関西の地下鉄にはかなりの割合でエアコンが入っていた。

 大阪は東京とならぶ二大都市と呼ばれていた。すべてにおいて東京に肩を並べていたと言っていい。しかももともと大阪は商業都市だから社会資本は当時東京よりも進んでいたと思う。

 私が言う東京のお馬鹿さん(なんでも東京が一番だと思っている人)が「エアコンは廃棄熱があるから地下鉄の車両には付けられないんだ。」とお前の田舎では地下鉄はないだろうと決めつけてまことしやかに私に説明する。それがひとりやふたりではなく東京圏に住むほとんどの人がそのように言っていた。私は都度関西では入っていると反論したのだ。

 しかも駅のホームには関西では見慣れない円筒形のごみ箱のようなものがある。聞けば痰壷らしい。よくもそんなものが置いてある、東京は不潔な街だと思った。

 エアコンのない地下鉄に乗って寮に帰ると個室にはエアコンが入っていなかった。

 エアコンなしの地下鉄と寮の生活を今の歳を取った私がしたならば三日と持たないだろう。

 食堂だけエアコンが入っていたが12時でエアコンは切れていた。暑くて咽喉が渇いて食堂に行って自販機で飲み物を買うぐらいしか涼しくなる方法はなかった。

 各家庭でもバブル初期の頃はエアコンがあるのは居間だけだったはずだ。

 長い低成長でバブル時代は良かった的な風潮があるが、エアコンで気軽に涼める今になってよかったとつくづく思う。

2022年7月2日