今から160年以上前の安政7年3月3日(1860年 3月24日)桜田門外の変 (さくらだもんがいのへん)は、江戸城 桜田門外(現在の東京都 千代田区 霞が関)で水戸藩からの脱藩者 17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老 井伊直弼を暗殺した。
最近では井伊直弼は最初に拳銃で致命傷を負ったという説が有力になってきている。
井伊直弼は彦根藩主で彦根藩士たちが警護をしていたが、突然の奇襲であったことに加えて雪の中儀礼上刀に覆いをしていたのですぐに反撃ができなかったらしい。
ケガの程度の軽かった藩士はなんと切腹させられお家断絶、重症を負ったものでも減俸など厳しくいまでは考えられない責任の取らされ方をした。
井伊直弼は国論を二分する中で米国との日米通商条約を締結した。強い反対者がいたことはマスコミや立憲・共産党から敵とみなされた安倍首相に通じるところがある。
安倍元首相の狙撃暗殺事件で読売新聞によると警察庁の辞意を表明していた中村格長官(59)の辞職も了承された。
安倍元首相の警備に不備があったことは明らかで未曽有応の失態に責任を取るのは当たりまえだ。
だからと言って私は警視総監や奈良県警に切腹を求めたりはしない。
だがどうして警備が不十分であった原因については徹底的に調査をしてほしい。
今回の失敗はいままで普通の警備体制の虚を突かれたのかもしれないし、安倍首相の行動の事前連絡が遅かったからかもしれない。もしかすると旧統一教会を反日勢力として公安が把握しその支持者反対者を把握することをしていなかったのが原因かもしれない。
警備の不備とその責任の取り方は報道されているが原因について分析されていない。
もちろん警察の責任者は辞任しなくてはいけない、だが辞任だけでことを収めてはいけない。
どうして今回の事件が生じたのか警察は徹底的に「真の原因」を考え反省しなくてはいけない。それが今後の警察の未来につながるはずだ。
2022年8月26日