ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

バブルを生き延びた人たち その6

 1980年代前半就職して東京の出てきたが、会社の組合が住宅を持ちましょうとのことで毎年2回モデルケースを組合報に具体的に掲載していた。

 組合のチラシにある最初のモデルケースは都心の会社まで通勤時間40分80平米のマンション3500万円だった。25年ローンで毎月とボーナス月の返済額が書いてある。

 田舎者の私は一生働いても一戸建てが買えないんだと驚いていた。

 それが1年もするとモデルケースのマンション価格は4000万円になり、3,4年すると6000万円となってしまった。銀行借入完済までに金利を加えると1億円を一生かけて払わないといけない。

 バブルがさらに大きくなると通勤時間40分で6000万円ではマンションは買えない、現実的でないと組合員から指摘され、通勤時間が40分から50分、そして1時間となった。

 それでもバブル最終局面になると通勤時間1時間で6000万円のマンションは買えなくなり、組合は面積を80平米から70平米とし最終的に60平米になった。

 最初通勤時間40分80平米3500万円返済期間25年がバブル最盛期には通勤時間60分60平米6000万円返済期間35年となっていた。

 1980年代急激に値上がりする状況で当時私は商社の給与でも厳しいと考え、マンションの購入を諦め寮と社宅に期限までいてその後は仕事をやめて田舎に帰ろうかと思っていた。それがたまたま運がよかった。

 一方で1980年代後半バブル崩壊直前の最高値の時に20歳後半を迎えた同期の多くは高値掴みをしている。

 寮にも社宅にも5年以上住める権利があったのだが、みんな先を争うように会社から1時間以上6000万円の東京の「田舎」のマンションを35年ローンで買っていった。

 バブルがはじけて損をしたのは一流商社マンも同じだった。

 たまに飲み会に誘われるが私は行かない。

 行かない理由はいくつかあるが、不動産屋だから不動産の話をしなくてはいけないからだ。損している人が多くいる訳で同期会と言う飲み会ではやめておいた方がいいと思っている。

2022年7月2日