ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

輝いていた神戸はどうなっているのだろう

 妻の学生時代の友人が老後生活を考えて神戸のマンションに引越しを考えていくつか物件を見ているらしい。

 もともと兵庫の田舎の人で大阪府泉州地方(大阪府の南)に嫁いだらしい。夫婦で相談して二人の老後はあこがれの神戸での生活と言うことを考えているらしい。

 私は学生時代4年間神戸に住んでいた。

 あのころの神戸は輝いていた。

 1980年代神戸市は六甲山裏側の山を切り開き住宅地や工業団地を造成し、その土砂で瀬戸内海を埋め立ててポートアイランド六甲アイランドなどの人工島を作っていった。

 ポートアイランドで行われたポートピア博覧会は大盛況で、この手のプロジェクトでまさかの黒字を出したので騒がれていた。

 神戸港は横浜港とならぶ二大港湾だったが、横浜はどちらかと言うと輸出港で神戸は輸入港だった。いろんな物資が世界から持ち込まれることもあり神戸は容易に異国文化が感じられる街だった。 

 隣接する大阪は当時まだ東京都並ぶ二大都市でバブル経済の勢いもあって神戸の街は勢いずいていた。

 神戸市東灘区にお嬢様がいく女子大があったが、冬になるとほぼ全員が毛皮を着ている。

 阪急電車の岡本の駅から六甲山の麓にある大学まで何十万円もする毛皮を着た女性が列をして登っていく様子を見たことがある。多くは活性化した経済で潤った中小企業のオーナーの子弟だ。数年後大学に毛皮を着てくることが禁止になっている。

 学生時代横浜の山下公園や山手に遊びに行ったことがあるが、今一つ活気がないと思ったし若者たちも正直ダサイと感じた。

 それほどに輝いていた神戸なのだが、どうも最近は今一つどころか坂を転げ落ちている感があるのだ。

 そして、私はすでに自由の身で神戸に住もうと思えば住めるので神戸に住むことを想像してみた。だがいくつかの理由があってやめておこうと思っている。

 つづく。

2023年5月9日