能力があるからと言って成功しない、ほとんどの人は大きな成功もせずにその他大勢の中低層者になる。
偏差値55-60ぐらいのちょっといい能力を持つ人が大成功するらしい。
そんなことを述べてきたが、さてさてこれから本題になる、その能力させも運かもしれない。おそらく100%運なのだ。
能力は生まれ持っての才能、生まれてからの努力、時代に会うこと、の三つから成り立っている。
能力が時代に合うかどうかは誰もが用意に運だと認めるだろう。
大谷翔平選手が江戸時代に生まれていても活躍することはなく、東北地方のデカい力持ちの青年で終わっていたはずだ。逆に戦国時代の宮本武蔵が現代に生きていても映画のエキストラしかできなかったかもしれない。
生まれ持っての才能も運だ。
いくら頑張っても我々は大谷選手のように大リーグで勝利投手になってホームランをかっ飛ばすことはできない。
残念ながら多くの人達は特殊な能力を持って生まれてきてはいない、そしていくら努力しても特殊な能力を持って生まれてきた人と同じことはできないのだ。
能力が個人の努力で成り立っていることは誰もが認める、だがその努力も運だと私は思う。
努力できる環境はもちろんのこと個人が努力を続けられる性格を持って生まれたことも運なのだ。この世の中生まれながら努力が出来ない人たちが大勢いる。
飽き性で何事も続かないのは何も特殊な人たちだけではない、我々自身を考えても簡単に諦めた経験はあるはずだ。執拗に真面目に努力する能力も天から授かったのも運なのだ。
大谷選手のように飛びぬけた能力だけでなく、我々の多くは普通のちょっと人よりできる能力を持っていることがある。一方で我々は人よりできないことがいくつかある。
それはすべて運だと思うべきではないだろうか。
運のよかった人と運の少し悪かった人と大きな差をつけるべきではないし、運が悪かった人には自分の運の良さに感謝しながら手を差し出すべきだと私は思う。
2022年11月21日