少子化問題の解決策は「親が望むならばすべてのこどもを社会が7時から23時まで面倒を見る」ということだ。
ふと自分の子供のころを思い出した。
いつも学校から帰ると近所の空き地で友達5,6人で缶蹴りをして遊んでいた。
缶蹴りはかくれんぼの一種だ。
地面の上に半径5,6メートルの円を描いて真ん中に空き缶を置く。鬼は円の外側にいて隠れた子を探す。見つけると鬼は「○○ちゃんみーつけた!」と言って缶まで走って踏みに行く。見つかった子も走って缶を蹴りに行く。鬼が踏むのが子が蹴るより早ければ鬼の勝ちで子は捕まって円の中にいなくてはいけなくなる、子が缶を蹴るのが早ければ子の勝ちで捕まっていた子たちは逃げてまた隠れることができる。全員が見つかったら最初に見つかった子が鬼になる。
小学校6年の頃私は近所で年下の小学生たちと缶蹴りをしていると近くのお母さんが幼稚園のこどもを連れてきた。
「おばちゃん用事があって30分ほどいないんやけどこの子と缶蹴りであそんでくれへんかなあ」
もちろんすぐにオーケーして一緒に遊んだ。小学校1,2年生は弟分ができて喜んでいる。小学校5,6年生はその子をマメっこ(鬼にならない)にして一緒に隠れて遊んでいた。
そのおばさんがその後私の母に会った時に私のことを褒めてお礼を言ってくれていた。
ちょっと用事があったのだろう。その機会に年上のこどもたちと遊ぶ機会を作ろうとしたのかもしれない。でもあのころまだ近所のこどもに目を掛ける社会がまだ残っていたように思う。
今お母さんたちはこどもを幼稚園保育園に預けるしか方法はない。学校が終われば塾代は親が負担する。ランドセルも制服も親の負担だ。スポーツやらせるにしても普通は部活になって指導者はほとんどの場合素人の先生だ。もちろん部活費用も親の負担だ。いまだに学校給食がなくて毎朝弁当を作っている親もいる。
こどもの数を本当に増やしたいならかような仕事と負担を社会がすべて面倒をみない限り無理だ。学校給食をすべての学校で無償行うだけでなく、夕飯や朝食も親が希望すれば食べれるようにすべきだ。
そこまで踏み込まない限り親は子育てから解放されないので子どもの数は増えない。
もちろん社会制度の頼り切って親としての役割を放棄するものが増えるだろう。だがすべてのこどもの食事、クラブ活動、教育、社会とのコミュニケーションが保証されるのだ。今親が子育てを放棄すればその子はすべてを失う状況で実際に放任されたこどもはいっぱいいる。彼らを救うことができるわけで断然いいことになる。
異次元の少子化対策と言っているが岸田政権の考えは給食すら全国実施無償化ができていない。朝の7時から夜の11時まで親が希望すれば面倒を見る社会、子育てセブンイレブンを目指すべきだ。
2023年3月10日