一機のゼロ戦が250キロ爆弾を抱えて特攻できずに南の島のでこぼこの滑走路に着陸する。緊急着陸用の島に逃げてきた。
観客は太平洋戦争末期の敗戦色濃い世界に引き込まれる。
そんな映像で「ゴジラ ‐1.0」は始まる。
テレビドラマでも映画でも最初のつかみの部分が大事だ。
吉本新喜劇を観ていると最初バカなギャグなどで始まるが、そこで観客は一気にストーリーの中に入ってしまう。舞台の大道具は映画のようにリアルなものではないがいつのまにか話に取り込まれてしまう。
NHKの大河ドラマ「どうする家康」が過去ワースト2位の視聴率になっている。ワースト1はオリンピックを題材にした「韋駄天」だ。
視聴率が見込まれる戦記物でワースト2位というのは来年以降が思いやられる。テレビ視聴率そのものが下がっているし、大河ドラマの歴史がながくネタ切れになっているところもあるのだろう。
だが私は最近の戦国時代ものの大河ドラマは「つかみ」の部分に問題がある。
戦国時代の男たちは、たぶん真っ黒に日に焼けて背が低く泥にまみれ絶えずどこかけがをしていて反っ歯で歯がいくつか抜けていて下品に笑い大声を出し音を立ててものを食い無作法で残酷であり利にさとく敏捷で屈強だったはずだ。
そんな正反対の代表が松淳だ。
若者の視聴率をねらうために、女性をターゲットとしたために、もっとも正反対のあり得ないキャストをしてしまったのが失敗の原因だと私は思っている。
最近の戦国時代の大河ドラマは画像も俳優も綺麗すぎて実感がない。現実感のなさは本当は染料がなかったのに民衆が色とりどりのチョゴリを着せたり歴史にまったく基づかない韓流歴史ドラマに匹敵する。
同じNHKが贔屓にする俳優ならば家康は岡村隆史にやってもらった方がよかったのではないかと思う。
2023年11月18日