いよいよ年末だ。来年の目標は「無理をしない」にしようかと思っている。
私は人より特に優れた能力は何ももって生まれてこなかった、最近特にそう思う。
物を落としたり置き忘れたり、人の名前を間違え、字を間違え、予定をすっぽかすのは珍しくなく生まれつきのようだ。学校では宿題と忘れ物の常習犯だった。音楽的才能と運動能力はゼロに近い。いずれも小学校の成績は3か2だった。算数や理科はそこそこできたが。
昔から平均的にできることもあったが、人より劣っていると感じることが多い。
特に運動ができず引っ込み思案でコンプレックスを抱いていた。母は何事もそつなくできた兄と私を比べることはなかったように思う。それは救いだった。母のやさしさだったのだと思っていたが最近気が付いたのだが諦めていたのだ。
それなりに真面目だったのでいつのころか努力すれば人と同じことができることもあることを知った。
同じことを100回、1000回とすると普通の人に追いつけることがあることに気が付いた。
いままでまったく出来ずにいたのに人と同じことができるのがいかにうれしいことか、うれしいというより救われるのだ。友だちにコンプレックスを感じなくていいのだ。
私はそんな子ども時代に「いい習慣」を身につけた。その「いい習慣」で大学にも行き就職もし金も稼いだ。
だがいつもやり過ぎる。できもしない目標や計画をたてて疲れ果てるまでやってしまう癖がいつのまにかついてしまった。体を壊したり嫌になって興味を失って中断したり止めてしまうことがある。
最近ようやくこの「いい習慣」は幸せなものではないことに気がついた。
適当でいいのだ。できる範囲の努力だけにして無理しない範囲でケガをせずに嫌にならないようにするのが大切なのだ。
そんなもしかすると普通の人達が知っていることを60歳を越えて理解しだしている。
2024年は適当にやることにする。これが目標だ。
2024年12月18日