ドラコの資産運用 織田俊夫

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大河ドラマ低視聴率はリアリティーのなさ

 先のブログで最近の大河ドラマの低視聴率の原因は俳優がその時代に比べデカすぎる、綺麗すぎると述べた。

 一言でいうならば「リアリティーのなさ」だ。

 史実をそのままドラマにしたノンフィクションと全くの作り物のフィクションがある。

 大河ドラマの場合歴史的な人物を主人公にしている部分でノンフィクションである。ドラマの内容も大筋史実に照らしたノンフィクションではあるものの、細かな部分については作者や脚本家が作っている

 大河ドラマはノンフィクションとフィクションの間にあると言っていいだろう。そもそも1年間に渡って一人の人物を史実だけで表わすことは不可能だろうし、ある程度作った部分があったほうが観ている方は楽しい。

 ただ最近の大河ドラマはフィクションの割合が大きいように思える。それが視聴率の低迷の原因の一つなのだろう。

 昨年の「青天をつけ」は明治時代という視聴率の稼げない時代であり、渋沢栄一という国民一般にはあまり知られた人物ではなかったにも関わらずそこそこの視聴率となった。

 主人公を演じた吉沢亮氏について渋沢栄一氏の玄孫が「お爺さんはあんなにかっこよくなかった」とテレビのインタビューで言っていた。だが話の流れは現代の経済に直結している話題ばかりで視聴者にとっては今の経済の成り立ちが分かって身近なリアリティーを感じたのだと思う。近代だったから史実が多く残されていてノンフィクションの部分が多く、視聴者が引き込まれたとみている。

 俳優がデカすぎる、綺麗すぎると言うのは先のブログの通りだ。衣装も当時そんな色あいで染色していただろうかと思わせるものばかりだ。

 背景もCGなどを利用しているが、昔の日本と言えば山と野原と田んぼの世界だったはずだ。

 ストーリーももっと人間臭いもので貧しく残酷であったのではなかろうか。

 視聴率を稼ぐために画面を美しく、人気のある俳優をだしているのだろうが、リアリティーがなくなってしまっている。その結果全く歴史的事実を無視し、デタラメの考証をして作成されている韓国歴史ドラマと同じ様に薄っぺらいものになっている。

 地方の放送局が必殺仕置き人シリーズをやっている。内容は全くのフィクションだが、何やら本物のようなリアリティー感があって引き込まれてしまう。

2022年1月25日