六十歳を超えた私はプラモデルのゼロ戦を作ることになってしまった。
父の日のプレゼントにと三十代の長男が毎年酒をくれるのに何を思ったかゼロ戦21型48分の1スケールのプラモデルをくれたのだ。
年寄りの暇つぶしにと考えたのか、老化防止にと思ったのか、本人が三十歳を超えてもガンダムのプラモデルをつくっているからか、分からないがともかく気を使ってくれたのがうれしい。
50年以上プラモデルは作っていない。
小学校の頃お小遣いを握りしめて模型店であれこれ品定めをして買っていた。
私は第二次世界大戦中の日本の戦闘機と軍艦を作るのが好きだった。飛行機はゼロ戦、彗星、紫電改、隼、鐘馗、飛燕、疾風、五式戦、銀河、月光、飛竜、一式陸攻、、、軍艦は大和、武蔵、長門、伊勢、赤城、加賀、飛竜、瑞鶴、翔鶴、愛宕、鳥海、夕張、、、たぶんこの2倍の種類のプラモデルを作ったはずだ。
興味があったので図書館に行って第二次世界大戦関連の本を読んでいた。
尚、息子がくれたゼロ戦21型はアメリカに恐れられたころの初期型で真珠湾攻撃に使われたタイプだ。
当時の技術者が制約された条件で必死に戦闘機や軍艦を作っていたこと、それを使って日本人が最後まで戦い続けたことを知ることになった。
本に出てくる人たちはみんな努力家で優秀で命を失うことを恐れずに日本のために戦っていた。
当時学校の担任の先生は日教組だった。
軍国主義反対、原爆反対、安保反対、日の丸反対、などあからさまに私たちの前ではやらなかったが、そんなことを先生が授業をやらずに集会でやっていることを私は知っていた。
そして素直にその考えを受け入れていた。私はマルクスを知っていて小学生でありながら革命を叫ぶ共産主義者だったように思う。
だが私の中では戦闘機や軍艦を作った人やそれで戦った人が、日教組の先生の言うように悪い人あるいは軍国主義に騙されていた人とはなかなか思えなかった。
そのまま社会人になり日本の歴史に誇りをもつ一方でお花畑左翼をつい10年ほど前40年間ぐらい続けていたように思う。
2022年7月6日