ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

映画を観るのは死ぬ人が出てくるから

 私は死ぬ人が出てくるから映画を観るのではないかと思っている。

 歴史もの、恋愛もの、アクション、コメディー、ノンフィクション、いずれの映画もほぼ例外なく「死」というものが出てくる。

 今日本では戦争で人が死ぬことはないし、若くして病気で亡くなることは少ないし、自殺は横ばいのようだが、交通事故死は減っている。身の回りで死ぬ人は一昔前に比べらた相当少なくなっている。

 しかも小さな孫たちにとっておよそ祖父母は元気な人たちであり、また祖父母や祖父母とは別居していて身近に老人が年老いて病気になって亡くなっていく姿を日々見る機会がない。

 私自身も父とは東京と地方でかなり距離があって、亡くなる前5年ぐらいは毎年数回会う程度だった。会うたびに少しづつ老いていき最後になると弱って行ったが、それは会うたびであって毎日見ていた訳ではなかった。

 今重病でない多くの健康な人にとって「死」は日常とは関係のないところにある。

 若者が結婚しないのも身近に亡くなる人がいないから死というものを感じない、だから今の日々がいつまでも続いていくと錯覚して恋愛や結婚を先延ばししているのではないかと思う。

 死というものを考えるとおそらく人は先送りを止めるのかもしれない。

 人生が限られた時間しかないのは冷酷な事実であるが、生きている私たちはその現実を毎日見るのは怖いし、日々無意識に考えないようにしている。

 お医者、看護師さん、介護士さん、葬儀屋さん、宗教関係者などは死を日常として仕事をしている。それぞれの死に対するストレスに対処する方法があるのかもしれないが、死が身近にある職業についているのはすごいことだと思う。

 親戚の葬儀に行っただけでも数日心の調子が悪くなる私にとってこれらの仕事をしている方々を心から尊敬する。

 だが少しは「死」というものを考えて人生を見つめなおすことがないとやらない夏休みの宿題のようにだらだらと大事なことを先送りしてしまうような気がする。

 私にとって死を感じて短い人生だから早めに何でもやろうと思わせてくれるのは映画だ。「死」を考えるには映画ぐらいの刺激にとどめておかない私は眠れなくなると思う。

 2020年8月5日