父の7回忌がもうすぐ来る。
1970年(昭和45年)ぐらいのことだっただろうか。
日曜日の午後父と一緒に自転車で商店街の小さなスポーツ用品店に行った。
そのころ小学生の私は草野球に熱中してて軟式ボールとグローブを持っていたが、硬球が欲しくてたまらなかった。本格的な硬球で野球をやってみたかったのだ。
小遣いで買えばいいのだがちょっと高くて躊躇していた。頼んだら珍しく父が買ってくれるという。
店先にあった硬球は280円、軟球が130円だった。
愛想のいい店主のおじさんは店先に出て来て自転車にまたがったままの父と話をしてていた。おじさんが280円ですと告げると父は財布を取りだしてお金を払おうとした。
その時、一陣の風が父の財布から1万円札を巻き上げ商店街の道にまき散らした。
おそらく全部で30枚ぐらいはあった。いまも空中に浮いた何枚もの1万円札を鮮やかに覚えている。
店主のおじさんと私と行きかう数人が道路にまき散らされた1万円札を拾い上げて自転車にまたいだままあたふたしている父に手渡した。
母は危ないからそんなに大金を持ち歩くなと何度もいったがお父さんは聞かなかったんやといっていた。
社会人になってそれを思いだして父に話をするとこんな話を聞いた。
「そやなあ、25万円は必ず持ってた、だいたい40万円ぐらいの現金を持ってたんや。」
今の価値にすると最低100万円、もしかすると200万円ぐらいのの現金を持ち歩いていることとなる。
「経理の仕事をしてると銀行さんやらに接待されるんや、お父さんはお酒好きやからついつい誘いがあると行ってしまう。接待受けてもいい時もあるんやが受けたらあかんときがある、そんな時に飲み会が終るころにトイレに行くふりしてこっそりお金払ってしまうんや、現金持ってないとついおごってもらって弱み握られるからな。」
ということだった。
父は女も博打もしないが酒は好きだった。仕事と酒が趣味のような真面目な父だった。そんな父が自分を守り誇りをもって仕事をするために現金を持ち歩いていたのだ。
中国のハニトラやマネトラで買収されてまともな仕事をしていない政治家や経済人に父の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと思っている。
2022年2月7日