ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

イラクのフセイン大統領を思い出す、その8,トルコイズミールのホテル

 1988年~1990年、湾岸戦争の1年ぐらいまえだった。

 私はトルコのイズミルと言う街に二カ月ほどいた。

 トルコと言えばそのころ日本人が想起したのはトルコ風呂、女性がサービスをしてくれる特殊浴場だった。トルコ政府からクレームがあってソープランドと名前を代えた。

 日本人にとってトルコはあまり知られていない国だ。

 だがトルコは大親日国だ。

 いくつか理由があるが、明治時代ロシアの軍艦が紀伊半島で難破した時に地元の人達が献身的に救助看病をしてくれたことをトルコは学校の教科書に載せている。ロシアが当時トルコ領だったクリミア半島を攻めていた時に日本は日露戦争で大勝利したことなどがある。

 首都イスタンブールトルコ人は目が青くて色が白い人が多く、一見すると欧州人に見える。だが彼らは自分たちをアジア人だといい、それにプライドを持っている。

 私は仕事でトルコに2ヶ月以上滞在していた。

 多くの日本人にとってトルコは中東の国ぐらいのイメージしかない。イラクサウジアラビアと一緒の景色を想像する。

 当時私の部門では長期出張をする人に色紙に寄せ書きをして送ることになっていた。

「食事が大変でしょうから気を付けて」「砂漠では日焼け止めを」「お酒飲めなくてたいへん、帰って来たら帰国会しましょう」「脱水症状にならないように」

 当時は独身の女性社員が多い時代だったので大半は若い女性社員からのメッセージで、なにやらうれしい。

 だが一度トルコ、イズミルの街の写真を適当に検索して見てほしい。

 私がその色紙を読んでいたのは、ビジネスパートナーが安くしてくれた真っ青なエーゲ海に臨む高級ホテルのプールサイドだった。もちろん鮮やかな色のカクテルを飲みながらだった。

 エーゲ海の西はギリシャ、東はトルコなのだ。日本人がエーゲ海ギリシャを想像するのと同じような景色がトルコのイズミルにもあった。

2022年6月7日