「京都の甘味は「ほっこり」東京の甘味は「元気が出る」」と妻の学生時代の京都人の友人が東京に来て言った言葉だ。
この言葉を妻から聞いてうまいこと言う、さすが京都人、ウイットというかエスプリが利いている、早速ブログに書かなくてはと思いながら十日以上が過ぎた。
京都のお菓子は確かに食べるとほっとする甘みがある。単に甘みを抑えているのではない。
最近洋菓子のケーキは中には客の健康やダイエット志向に媚びて砂糖の量を必要以上に減らしている場合がある。思わず「甘くなければお菓子じゃない」と言いたくなるほど甘くなく小麦粉と卵の味しかしないことがある。
京都のお菓子の甘さはそれとは違う。口の中にいれるとしっかりと甘いのだが、頭につんと来るようなきつい甘さではなく、ほっとする上品な、つまり「ほっこり」する甘さがある。この点について妻の友人に100%賛同する。
さて東京の甘味は「元気が出る」ということなのだが、これがひっかかってしまった。それでブログにするのに十日以上も経ってしまったのだ。
東京の人が聞けば、東京のお菓子は美味しくて元気が出ると素直に聞いてしまうのだろう。
だが若いころ京都の隣に生まれ育ち京都人を知っている私には皮肉にしか聞こえない。
京都で「ぶぶづけ(おかゆ)でも食べて行きなはれ」と言われたら素直に食べて帰ってはいけない、辞退して帰らないといけない。表と裏があって言葉をそのままにとってはいけないのだ。
「元気のいいお子さん」は騒がしいこどもと言う意味だし、「カラフルなお洋服ですな」と言われたら派手すぎると言う意味だ、と聞いたことがある。
今もそうなのかどうかわからないが、「元気の出る甘さ」とは何なのか。
「甘すぎるなあ、江戸のでーく(大工)が肉体労働で疲れた時に食べるもんやな」とか
「甘すぎるなあ、砂糖の取り過ぎでまた運動せんといかん」と言うようにしか聞こえない。
そんな話を妻にしたところ、一言。
「あんた、友達失うで」 だった。
いや妻の友人は気高い京都人だからこのブログの冒頭で友人が「上京した」とは書かずに「東京に来て」と気を使っているのだが。
2022年11月2日