ドラコの資産運用 織田俊夫

政治、経済、社会、を常識眼で分析すれば資産は10倍になる

レバノン ベイルートに行ったことを思い出した。

 1998年にレバノンベイルートに行ったのを思い出した。

 レバノンは他の中近東と同じく土漠と砂埃の中の建物という風景が思い浮かぶだろう。

 だが私が見たベイルートは違っていた。

 ベイルートの街の高台に行くと青い地中海が見える。街を含め南フランスどころかエーゲ海のような青い海の美しい光景だ。

 考えてみればイタリアやギリシャが面している同じ地中海なのだ。綺麗に決まっている。

 ほんの三千年前中近東が砂漠化するまでこの地域はレバノン杉に覆われていた。地中海の青と杉の緑はさぞかし美しいコントラストだったに違いない。

 第二次世界大戦レバノンは一時フランスの統治下にあったので元々街は美しかったし食事も美味い。

 古代は貿易港として繁栄していたわけで地中海気候の人の住みやすいところだった。

 某自動車会社のトップが逃げ帰った理由はそれなりにあるのだ。

 もう一つ驚いたのは銃撃で徹底的も破壊された街がまだ多く残されていたことだ。

 レバノン内戦時幅20メートルの大通りを挟んでキリスト教イスラム教派が機関銃を数年に渡り打ちあった。

 全てのビルは全壊又は半壊していて銃痕があった。

 日本の街で例えるなら、大手町通りで戦闘が行われて両方から機関銃でガンガン撃っていたようなものだ。

 ベイルート湾が一望で見下ろすテーブル席で観光客がシャンパンをあげていた。

 平和と戦争が背中合わせにある街だった。

 ところで私は陸路シリアからレバノンに入国し同日ベイルート空港から出国した。

 ベイルート空港でパスポートコントロールに並んでいる時に数時間前に押してもらった入国スタンプを見ると明日の日付になっていた。

 出国の係官に明日の日付を指さしながら「俺は未来から来た男だ。」と笑って言ってやった。

 係官は私のパスポートを持って20分ぐらい居なくなって戻ってきた。

 見るとパスポートの入国日付がポールペンで二重線されて今日に修正されていた。

 記念にそのパスポートは今も持っている。

2023年11月1日