ドラコの資産運用 織田俊夫

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能登半島地震、辛いが集団移住は必要なのかもしれない。3/6

 最近人生で平均4回引越しをすると不動産のコマーシャルでやっているので、自分の引越しを数えて観たら15回だった。

 高校を出るまでは両親とともに2回同じ市で引越ししたが、その後大学に行き就職をし海外も含めて13回引越しした。

 そんな私が能登半島の被害者の人達が集団移住を戸惑っている姿を見るとさっさと引越しをしてしまえばいいと無責任に思ったりもする。だが引越し先で仕事も見つけなくてはいかないし慣れ親しんだ土地を離れるのは辛いは分かる。

 20年ほど前父が同窓会の幹事をやっていて名簿の整理を手伝ったことがある。

 関西の地方都市で生まれた父は地元の学校を出て地元の企業に勤め定年退職し老後生活を送っていた。

 何度か引越してそのたびに少し大きな家になったが、同じ市の中だった。

 名簿は昭和2,3年生まれで戦前の5年制商業高校の卒業名簿だった。当時卒業から50年程度経っていたが、8割の人達が今も同じ市や周りの市町村に住んでいた。1割が大阪や京都に住所を移していたが東京が現住所の人は数人しかいなかった

 おそらく能登半島に住んでいる人たちは父や父の同級生のような人たちなのだろう。地元に愛着をもっていてそして生まれ育った土地から離れることなど想像もつかないことなのだと思う。

 だが一つだけ言っておきたい。

 8年前父に先立たれた母は長年慣れ親しんだ街を離れて800キロ以上離れた長男(私の兄)のいる街のシニアマンションに引っ越した。

 88歳の婆さんが初めて他の町に住むことになったのだ。おしゃべり友だちから離れ言葉も気候も習慣も食事も違う知らない土地に引っ越したのだ。

 3年が経ったが母は新しい友人もできて健康に過ごしている。前と違って都会だし雪もあまり降らないと喜んでいる。

 能登半島地震被害者の人達に同じことをやれとは言わないが、そんなこともあると思って今後のことを考えてはどうかと思う。

 それにしてもわが母は立派だと思う。

2024年3月6日