私が楽器をやる羽目になったのはある会社に勤めたからだ。
それほど大きくない上場会社の役員として転職した私は最初から社長との折り合いが悪かった。そんな私を採用しなければいいのに取り巻きが社長が若いので同じ年齢の役員を一人入れたほうがいいと考えて説得したのだろう。
だいたい大して大きな会社でもないのに秘書が13人いたのだ。
社長に会うには秘書に気を使ってアポイントを取らなくてはならない。
ある日役員が呼び出された。
何を社長が言うのかと思ったら「秘書をねぎらう会」をやるとのこと。それで各役員は一人一つづつ芸をやれ、ただし今できる芸はダメでこれから新しい芸を身に着けてやれということだった。
あほらしいやら何やらで呆れていたのだが、ともかくそのときはまだ働くつもりだったので真面目に考えた。
歌は下手だし、楽器もできない、漫才ができるわけでもなく、手品ができるわけでもない。
半年後何とか一曲を物にして「秘書をねぎらう会」は高級ホテルの会場で無事終わった。
楽器はそのままになり、暫くして私は社長と大喧嘩をしてまさにクビになった。
楽器は埃を被り数年してメルカリで売ろうとしたら、けっこういい値段がしていた。躊躇して売らずにに昔の先生に連絡して7,8年ぶりに練習を再開をした。
今初心者から中級者の域にまでなりつつあると思っている。
楽器ができるようになってク〇野郎の昔の社長に感謝しないと、と人が言うことがあるが死んでもそんなことはない。
ただ音楽など苦手でやるなどとは思っていなかった。めぐり合わせであることは事実だ。
2022年11月19日